【オベリスクの墓とバーブ・アッシーク・トリクリニウム】

 

 

 オベリスクの墓

 

ナバテア独特の埋葬施設で、 4つの尖塔が特徴の上半分が「オベリスクの墓」、下半分が「バーブ・アッシーク・トリクリニウム」と呼ばれており、それぞれ別の機能を持っていた。
どちらもマリシャス2世の治世(西暦4O~7O 年)に同時期に建設されたものだ。

 

オベリスクの墓という名前は誤解を招<恐れがある。なぜなら、4本の尖った柱(最も高い7m)は墓標であり、内部の部屋の4つの側面の墓に埋葬された人物を表しているのであって(家族の長は、幅約6m、長さ5.70m、高さ約4mの埋葬室の後壁にある大きなアーチ型の中央ニッチ(壁龕)の床に埋葬されていた)、古代のオベリスク(記念碑)とは異なる意味を持っているからである。

 

下半分のバーブ・アッシーク・トリクリニウムは、死者のための儀式が行われる場所であった。

 

広大なペトラ遺跡内でも、このようなファサード(正面外観)をもつ建物は他になく、重要な建築物なのだという。

 

なお、オベリスクは、古代エジプト(特に新王国時代)期に製作され、神殿などに立てられた記念碑(モニュメント)の一種。 オベリスクの名称は後世のギリシャ人がobeliskos(串)と呼んだのが起源で、 当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。 なお、日本語では方尖柱(ほうせんちゅう)と呼ばれることもある。

 

また、トリクリニウムとはテーブル中心に3方に長椅子を配置した古代ローマ時代のダイニングルームのことである。

 


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