【 ヘイル宮殿 】

 

 

国立博物館DAM2s

 

[ウマイヤ朝の離宮] カスル・アル・ヘイル・アル・ガルビーの門

 

イスラム建築のすぐれたムカルナス(イスラム建築で使われる、持ち送り構造の装飾の一種)もアーチネット構造(アーチを組み合わせた六芒星を構成するイスラーム建築)も10世紀以前に出ているが、それ以前はギリシア・ローマを包括し、時にはナバテア人の文化も取り入れながら、多様な文様や構造を生み出している。 最も、大きなものはもちろんウマイヤドモスクであり、金のドームである。

 

すなわち、最初のイスラーム王朝、ウマイヤド朝のときに各地の分間の壮麗な部分を集め融合し、素晴らしい工芸的魅力に富んだモスクをつくっていた。こうした中で、ウマイヤ朝の最後の安定期、10代目カリフのヒシャームのときに砂漠の中に離宮が建てられている。 不安定な情勢も多くなったなかで、カリフは防御用の城塞として考えたのであろう、70m四方の城塞になっていた。また中央政治基盤のある都市部からしばし離れて休息する場所として離宮をいくつもつくったのだ。

 

パルミラの北東にカスル・アル・ヘイル・アッシャルキー(東の宮殿)、パルミラノ南西にカスル・アル・ヘイル・アル・ガルビー(西の宮殿)

 

カスル・アル・ヘイル・アル・ガルビーは重要な拠点でもあったが、ヒシャームの時代が終わり。その後衰退したウマイヤ朝は750年には滅んでしまう。それとともに離宮はみはなされ、砂の中に埋もれていった。

 

その遺構は20世紀に入って発見され、ダマスカス国立博物館の入り口にうつされた。

 

高さは16m、土台にレンガ、化粧岩として石灰岩、装飾用に漆喰が使われている。階段状の切れ込みはナバテア人による建築の流れを感ずる。アーチ型はもちろん、ギリシア・ローマの流れであるが、これと同じ小さな列柱で装飾用に飾ることはウマイヤモスクでも見られる。8ポイントスターなどの幾何学文様も使われており、ローマのアカンサス彫刻も使われている。

 


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