【 ネ ボ 山 】
ネボ山
ネボ山は、ヨルダン西部に位置し、近郊の町マダバの北西10キロメートルの距離にある標高802メートルの高い尾根である。である。
アバリム連山(ヨルダンを東から南東に横切り、死海まで延びる山脈)の主峰の1座であり、海抜約マイナス400メートルの死海との標高差は1200メートルとなる。死海の東北端より東約9キロメートルの位置にあり、山頂からは聖地の全景と、北にヨルダン川渓谷の一部が展望できる。
通常、エリコのヨルダン川西岸地区の町が頂上から見え、よく晴れた日であればエルサレムも望むことができる。
ネボ山から死海を望む
(海抜約マイナス400m)、標高差1,200m
目次
Ⅰ 宗教的意義
Ⅱ 遺跡
Ⅲ 近年
Ⅳ 画像
Ⅴ 参考文献
Ⅵ 関連項目
宗教的意義
宗教的意義
申命記 の最後にいたる章によると、ネボ山は、神がイスラエルの民に与えられた約束の地をヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所とされる(申命記32章49節)。そして、モーセはモアブの平野からネボ山、エリコの向かいにあるピスガの頂へと登った(申命記34章1節)。
ピスガとは「尖った所」の意で、ネボ山の西2.5キロメートルのラース・エ・シャーガ (Râs es Siâghah〈Ras es-Siyagha〉) であり、このピスガの頂は標高710メートルとなるが、ネボ山と同一もしくはその一部分として混同される。
キリスト教の伝承によれば、モーセは神によってこのネボ山に埋葬されたが、モーセの永眠の地は不明である。申命記によると、神はモーセをベテ・ペオル (Beth Peor) に近いモアブの地の谷に葬られたが、今日までその墓を知る者はいない(申命記34章6節)。ベテ・ペオルは、一説にはネボ山の山麓にある「モーセの泉」(アイン・ムサ、Ayn Musa)の場所であるとされる。
イスラームの伝承でもまた同様にいわれているが、モーセの墓所はユダヤの荒野のうち、エリコの南11キロメートル、エルサレムの東20キロメートルに位置するナビー・ムーサー(マカーム・ナビ・ムサ、Maqam al-Nabi Musa)であるともされる。ナビ・ムサは「モーセ」の意である。
学者は、現在ネボ山として知られているこの山が、モーセ五書に示された山と同一であるかどうかの議論を続けている。 また、マカバイ記二 2章4-7節によると、預言者エレミヤは幕屋と 契約の箱をこの地に隠したとされる。
遺跡
遺跡
1933年、山頂部の標高710メートルのシャーガ(Syagha〈ラース・エ・シャーガ〉)で、 教会と 修道院の跡が発見された。その教会は当初、4世紀後半にモーセの死の場所をしのんで建てられた。教会の構造は典型的な バシリカ様式による。教会は5世紀後半に拡張され、西暦597年に建て直された。
教会については西暦394年に一人の女性、エゲリアの“巡礼記”に初めて記載された。
モザイクで覆われた教会の床下からは、天然の岩をくり抜いた6基の墓が発見されている。モザイク画は保存・修復され、現在も、年代の異なるモザイクの床の断片を見ることができる。現代の教会はその場所を保護して、礼拝の空間を備えるよう建設されている。
近年
近年
2000年3月20日、ヨハネ・パウロ2世(ローマ教皇)は聖地への巡礼の中で、ヨルダンで最も重要なキリスト教霊場の1つであるネボ山を訪れた。訪問時、ヨハネ・パウロ2世はビザンティン様式の礼拝堂の側に、平和の象徴としてオリーブの樹を植えた。
ベネディクト16世 (ローマ教皇)は、2009年5月9日にこの地を訪れて演説し、エルサレムの方向を山頂から眺望した。
山頂にある蛇のような十字架の造形物(青銅の蛇の記念碑)は、イタリアの芸術家ジョヴァンニ・ファントーニにより作成された。それはモーセが荒野で作って掲げた青銅の蛇(民数記21章9節)およびイエス・キリストが磔刑にされた十字架(ヨハネによる福音書3章14節)を象徴している。
画像
画像
参考文献
参考文献
• 牛山剛『ヨルダン・シリア聖書の旅』ミルトス、1988年。
ISBN 4-89586-004-3。
• ミルトス編集部『シリア・ヨルダン・レバノン ガイド』ミルトス、1997年、96-97頁。
ISBN 4-89586-016-7。
• レベッカ・ハインド『図説 聖地への旅』 植島啓司訳、原書房、2010年、137-139頁。
ISBN 978-4-562-04591-4。
• 『聖書 新改訳』新改訳聖書刊行会訳、日本聖書刊行会、1970年。
ISBN 4-264-00445-4。
関連項目
関連項目
•アバリム(英語版) - アバリム連山
•ネボ (聖書)(英語版)
•ナビー・ムーサー
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