【モーセ終焉の記念聖堂】
モーセ終焉の記念聖堂
「モーセの死の記念聖堂」は、4世紀後半にモーセ終焉の地をしのんで建てられたバシリカ様式の建物である。
1932年に、イスラエル、ヨルダン、シリアにあるローマ・カトリック教会の聖地保管部 (Custodia Terrae Sanctae、フランシスコ会に委託)がこの地を購入した。それ以来フランシスコ会がこの地を保管すると共に、ここにある教会と修道院の遺跡の発掘調査を行い、その遺跡の一部に聖堂を建てた。
この地には西暦4世紀以来教会があったことが、エテリア巡礼記 (スペインの修道女エゲリアがエルサレムへの巡礼の際に書いた巡礼記)などによって知られているが、 その教会が発掘によって明るみに出された。
その教会も現在の中央の祭壇のあたりが最も古く、これは西暦4世紀に遡る。その祭壇の正面奥と左右に、合計3つのアプスがあった。これを中心に2つの列柱によって3つのネーブ(身廊)に分けられる長方形の空間が加えられた。このとき南側のネーブの先端のナルテックス(拝廊/玄関間)にモザイクの十字架がある祭壇も造られ、バシリカとなった。
中央祭壇
中央身廊と中央祭壇
中央身廊
列柱の先に南身廊の先端のナルテックス(玄関間)が見える
ナルテックスにあるモザイクの十字架祭壇
聖堂の北側に壁で隔てられたディアコニコン(典礼用予備室)兼洗礼堂がある。洗礼用の泉は十字架形をしていて、そこには三方から段があり、降りられるようになっている。もう一方は流し台のようになっているが、これは幼児の洗礼のためのもの。
また、ここの床には狩猟と牧畜の様子が描かれた素晴らしいモザイク画が残されている。
その枠外に碑文があって、そこには職人たちの名前やマダバの司教や修道院の院長や恩人たちの名前が書かれており、 その日付として531年8月8日が刻まれている。
床のモザイクがすばらしいディアコニコン(祭儀用の間)兼洗礼堂
さらに6世紀から7世紀にかけて建て直され、 南側の小聖堂のあったところには新しい洗礼堂、さらに神の母マリアにささげられた小聖堂が造られた。
これらすべてを含んで現代の聖堂があるが、その周囲にも遺構があり、ここにはかなり大きな規模の修道院があったことがわかっている。
ビザンチンモザイクを収容するネボ山の建物は改装のため閉鎖されていたが、2016年10月10年ぶりに公開された。 また、聖堂としての改修は2008年に始まり、2019年に完了した。
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